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Twitter再開します。突然のTwitter休止で、皆様には大変なご迷惑とご心配をお掛けしましたことと存じます。心よりお詫び申し上げます。
また、旅行記も溜まっておりますので、追々更新していきたい所存でございます。 今後とも PLANT DIARY と sotechan を宜しくお願いいたします。 それでは…。 #
by sotechan
| 2010-07-20 00:50
| 速報
皆様に緊急のお知らせです。今後、一週間Twitterを停止させていただきます。ご理解のほど宜しくお願いいたします。
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by sotechan
| 2010-07-13 04:20
| お知らせ
廃道界の権威。インターネットサイト「山さ行がねが」の管理人ヨッキれん氏こと平沼義之氏のトークイベントに行って来た。このブログを何時もお読みになられている皆様は、あまり私が廃道好きであることはご存じないかもじれない。しかしながら鉄道よりも廃道に没頭した時期があったことも確かなのだ。ではなぜ、私が今まで廃道に足を運んでいないのか。それは、行くのが大変なこと(自動車を運転できない)。一緒に行く人がいないことなどの障壁があったからだ。一緒に行く人がいないことについては、以前kyaputen_ryota氏を廃道じゃなくて廃線めぐりに誘ったら「俺はあまり廃線には興味が無いから…。」と仰った。私は嫌がる人を無理矢理に誘うのは不徳だと思うので、あきらめた。別に一人だって良いとは思うけれど、何か不測の事態にあった場合、一人では危険なので憚られる。
平沼義之氏は以前からイベントなどを開催され、私はいつもお目にかかりたいと思っていた。しかしながら、その時分、私は群馬に住んでおり、容易に足を運べなかった。今回、ついに念願のインベント参加と、平沼氏のお顔を拝することが出来たというわけである。さらに会話をさせて頂いたことは狂喜の至りである。 金曜日。講義は3限で終わりであったので、比較的早くに帰宅することが出来た。少しネットを楽しんでから出かける準備をし、家を出た。この日は生憎の雨であった。近くのバス停からバスに乗り小田急の停車場に向かう。最初は各停、途中で急行に乗り換え新宿へ向かう。小田急の急行で着座はいつも困難であり、この日も案の定座ることは出来なかった。新宿に到着し、西口を出る。しかしながらジュンク堂書店新宿店は駅の東側にある。それなので、新宿駅の直ぐ北にある小さな地下道を通り、東側に出た。相変わらずの人混みで歩くのは大変。それに、雨が追い打ちをかける。それでもジュンク堂書店は駅の近くにあるので濡れずに到着することが出来た。三越のエレベーターに乗り込みジュンク堂書店のある上層階に向かう。会場は8階であるが、トイレは7階にあったと記憶しているので、一旦7階で降りてトイレに入ってから階段にて8階に向かった。10分ほど前に到着。会場に入ると2名の受付店員の方がいらっしゃって、名前と予約済みの旨を伝え、1000円を支払い会場に入った。会場は普段カフェとして営業をしている場所である。この日はパーティションで書店と区切り、会場としていた。入ると席の半数以上は既に着座済みであり、とりあえずカウンターにてアイスコーヒーを受け取って、恐縮ながら最前列の席に座った。その後も席は順調に埋まってゆき、最後には満席になった。イベント終了後にサイン会があるということなので平沼氏著の「廃道をゆく」と「廃道をゆく 2」を購入させてもらおうと思い、店員に「会計は?」と聞くと「カウンターにてお願いします」と言う。会計カウンターは会場外にある、私はアイスコーヒーのグラスを椅子の上に置き、会場を一旦出、会計に向かった。コンピューター化したPOSシステムで決まった場所でしか、会計できないのは分かるが、どうにかならぬものだろうか。会計カウンターまで少し歩いて会計を済まし会場に戻った。あとは開始を待つばかりである。平沼氏とゲストのT氏がお座りになられるであろう椅子が一番前に備わり、テーブルの上にはmsiかacerと思われるのノートPCが据え置かれ、そのPCはプロジェクターに繋がっている。パワーポイントかなにかを使われるのだろうと予測した。 開始時刻になり、司会者から写真のネット公開禁止の旨が告げられ、その後、平沼氏とT氏が拍手で迎えられた。平沼氏がどの様な衣装をお召しになっていたかは記憶が定かではないが、リュックを背負われていたのが印象的であった。T氏はイブニングドレス風の少しセクシーなワンピースを召されておられた。平沼氏はリュックを肩から下し着席された。興奮の1時間半の幕開けである。PCの画面がプロジェクターによって白色の壁面に映し出された。OSはWindowsXPである。画面デザインはLunaを使わず、Windowsクラシックを使用しておられるところにプロの心意気が感じられて感激した。予想通り平沼氏はパワーポイントを起動され、プレゼンの準備に取り掛かる。パワーポイントのバージョンはアイコンから推測して2000か2002であったと思う。準備が整い、スライドショウが開始される。内容を詳説するのは問題があると思うので避けるが、大まかに言えば、日原旧道の新発見発表及びゲストのT氏についてであった。この2エピソードで1時間半はアッという間に過ぎて行ってしまった。楽しいことの時間は早く過ぎるものである。平沼氏も「あれ、1時間半ってこんなに短かったっけ?」と仰られていた。 最後にはサイン会が催された。私は購入した2冊を持ち、お二方共にサインをしていただき、平沼氏には私の名刺もお渡しすることができた。そして、お話もさせて頂いた。4年間の念願が晴れて叶った瞬間であった。感激の極みである。 会場を後にし、私は帰路に就いた。感激の余韻が残る足取りで夜の新宿を歩き、駅へと向かったのだが、夕食を食べていないことを思い出した。甲州街道を歩いて新宿駅の西側に出、日高屋にてとんこつラーメンのチャーハンセットを食した。旨かった。その後は小田急に乗り帰宅した。帰りの小田急線急行列車も座ることは出来なかった。この日の雨は私の嬉し涙だったに違いない。 それでは・・・・。 #
by sotechan
| 2010-06-22 00:48
| 旅行
今回、本当は昨年の7月に行った房総方面の大回り旅行をお伝えするつもりだったが、下書きノートを紛失したので、今回は本年3月に高崎高校鉄道研究会OB(以下、鉄研OB)の皆さんと行った春の青春18きっぷ旅行の様子をお伝えしようと思う。しかしながら、この旅行。私が計画したのではない。また、予定表を写し取らせてもらったのだが、紛失してしまった。だから時刻などの情報は記すことが出来ないが、ご了承いただきたい。
3月15日朝。先ず鉄研OBの方々と合流する前に新前橋駅にてkyaputen-ryota氏(以下、ryota氏)と会わなければならない。今までの旅行でもそうだけれど、彼は私が駅に着くと必ず既にそこにいて私を待っている。今回も案の定、先に待っていてくれた。彼が、何時も私が後に来ることについて、どう思っているかは知ったことではないが、とりあえず集合時間に合えば良いと思っている。有人改札にて青春18きっぷに押印してもらい早々と歩廊に降り立った。 歩廊で高崎行きの普通電車を待っていると、見たことも無い試運転表示を掲げた電車が入ってきた。青と黄色がかったクリーム色の一両編成の電車であったが、私には良くわからない。(調べたら牽引車であることが分かった。)私が珍しがってカメラを向けていると、ryota氏は「そんなのは何時でも見るよ」と言って涼しげにしている。毎日、電車通学をしてきた人だけあって、恐れ入る。珍車が行ってしまってから、高崎行きの普通電車が入って来た。 牽引車(形式不詳) 高崎には10分程で到着する。一旦、改札を出て鉄研OBの方々と合流するが、青春18きっぷなので、改札を出るのに対しては痛くも痒くもない。駅員にチラと切符を見せつけ、颯爽と改札を抜ける。鉄研OBの方々と軽く挨拶を交わしてから、再び改札を抜け歩廊に戻る。両毛線の普通列車で小山に向かうのである。 両毛線小山行きの普通列車は115系電車だったと思う。私はこの電車に乗るとき、いつ引退するのかと思うのであるが、そういった話は今のところ耳に入ってはこない。489系が定期運用を外れた今、115系は最古参の国鉄車両に入るのではなかろうか。しかしながら、内装設備は気に入っている。殆どがボックスタイプのクロスシートで旅行するのには都合がいい。尤も、外装もレトロなので気に入っていないわけではない。そうして列車は動き出したが、飽きる程乗っている路線なので、特筆すべき景色も無い。しかしながら、紅葉時の桐生~栃木の車窓は美しい。私は4年前に紅葉真っ盛りの両毛線に乗ったが、素晴らしいものであった。その景色が再び見たいので、昨年の11月に受験の間を縫って両毛線に乗ったのであるが、見事に時期を外し、非常に残念であった。 両毛線 115系電車(桐生で撮影) 小山に着いたら、東北本線に乗り換え北へ向かう。先ず宇都宮行きの電車に乗った。小山から宇都宮は直ぐに着く。宇都宮では食事をするため、駅の飲食店を色々と見て回ったが一向に決まらず、結局はNEW DAYSにて朝食のお握りとペットボトルの茶を買った。ホームに降り立つと訓練車と記されたデカ目のスカ色115系が留まっている。私はてっきりデカ目の115系は廃車になっていると思っていたので非常に驚いた。デカ目というのは素晴らしけれど、見慣れないせいか少し異様でもある。カメラに収めて反対側を向くと少し前とは模様を変えた日光線107系が停まっている。こちらにも若干驚いた。 デカ目の115系訓練車(宇都宮で撮影) 107系電車(宇都宮で撮影) 黒磯行きの電車は湘南色211系。見慣れた車両である。しかしながら宝積寺から先は未乗の区間であって、そういった場所に乗りなれた電車で向かうというは、なんとも不可思議な感を起こさせる。乗りなれた電車で未知の路線へ。まあ尤も、乗りなれた自動車で未知の道路を走るのと同じ様な事なのかもしれない。そう考えれば何とも無い。黒磯で郡山行きの普通電車に乗り換える。形式は701系。ワンマンカーのようであった。この車内に可愛い女子中学生が3人ほど座っていたので、ryota氏と彼女らのことについて話していると、気づかれてしまったのか、別の車両に移ってしまった。全く残念である。しかしながら、少しは目の保養になったと思う。彼女らも居なくなり、目が暇になったので先頭部にかぶり付くことにした。前が良く見えるというのは甚だ面白い。隧道を抜けたり橋を渡ったりした。駅には線路を取り外したようなスペースが幾つもあり、東北本線を特急が謳歌した時代を思い起こさせるが、悲しい風景でもある。やはり東北本線には国鉄色の特急と旧客が良く似合う。そんなことを思っていると右手に貨物ターミナルが見え、郡山に到着した。 東北本線 211系電車(宇都宮で撮影) 東北本線(宇都宮~黒磯)の車窓 東北本線 701系電車(黒磯で撮影) 東北本線(黒磯~郡山)の前方車窓 白坂駅入線 郡山駅には丁度一年前に来た。その時は水郡線で来て、磐越東線で去った。あと、ryota氏のご尊父にお会いしたのもその時だった。記憶にも新しい郡山で乗り換える電車は一年前にも乗った水郡線である。今度は一年前とは逆の上り方向で乗車する。水郡線は風光明媚なローカル線だけれども、如何せん距離が長すぎる。何事も「すぎる」ことはいけない。要するに飽きるのである。私が一年前初めて水郡線に乗った時、ryota氏はもう既に乗車済みで、彼が再び水郡線に乗ることは無かった。私も出来るだけ水郡線の再乗車は避けたかった。それはryota氏も同じ思いであったろう。しかしながら今回は多人数の集団旅行である。私とryota氏だけが別行動をとるわけにもいかない。腹を据えて水郡線に乗車することにした。 水郡線キハE130系気動車(郡山で撮影) 乗ってみると田舎のローカル線のくせに車内は混んでおり、私たちは座ることが出来ない。そして、あんなに乗るのが嫌だった水郡線だけれども、乗ってしまえば面白い。それが鉄道享楽者の良いところであり悪いところである。また、昨年は初老の紳士と車中で喋り続けていたから、車窓もあやふやであった。今回は車窓に集中することが出来る。そう思えば退屈も和らぐ。でもまあしかし、長いわけであって、段々と退屈してきた。私の周りに座っておられた鉄研OBの方々は眠りについた様であったので、雑談することはできない。通路向かい側の二人掛けボックスシートに座っていたryota氏とyuki氏は起きているので、そちらのお二方とお話しすることにした。何を話したか内容は忘れたけれど、鉄道の話だったと思う。そうしていると、どこかの駅に着いて、窓からホッパー車が見えた。採石場が近くにあるのかもしれない。対向列車を待ち合わせて、直ぐに発車した。その後は雑談を続けながら車窓を何枚か撮影した。水郡線は川沿いを行くので、そういう所は綺麗である。紅葉の時期などは最高であろうと思った。そのうちに開けた田園風景が広がり水戸に到着した。 水戸では東京に向かうため常磐線に乗り換える。乗車したのはE531系。普段ならグリーン車に乗車するところであるが、我儘は言えないので普通車に腰を据える。周りも暗かったし、度々乗っている路線なので車窓には注目しなかった。車内に泉ピン子のauの広告があり何となく不気味だったので写真を撮った。土浦にて特急に抜かされるため、十幾分停車。歩廊に出て、通過の特急「スーパーひたち」を撮ったが見事にブレてしまった。その後はあまり記憶が無いけれど、いつしか上野に到着した。 常磐線 E531系電車(水戸で撮影) 上野からは東京タワーに向かったのだけれど、その途中はあまり覚えていない。京浜東北線に乗って浜松町で降りた気がする。降りた後は東京タワーに向かって歩く。途中、増上寺の前を通り過ぎたのだが、その門が真っ暗であったのでライトアップくらいすれば良いのではないかと思った。 その後は東京タワー見物をするのであるが、それは次回お伝えしたいと思う。 それでは・・・ #
by sotechan
| 2010-06-07 14:25
| 旅行
さて、日本の国債は現在890兆円程ある。お読みの皆様はこの890兆円を国が返済できると思うだろうか? 私は返済できるとは到底思えない。そして、これからも発行され続けていくのであろう。そこで、私は考えるのである。永久国債を発行したらどうか。永久国債とは言わば返済せず利子だけ払い続ける借金である。要するに国は国債を返済する義務はないが、国債取得者に利子を永遠に払い続けるというものである。国は気負わずに国債を発行できるし、国債取得者も利子が元本を超えれば得をするだけである。まさに発行して嬉しい、取得して嬉しい国債なのである。また、国が予算に余裕ができて、国債を返済できるようになったとしたら、国債取得者に理解を得れば返済することも出来る。現在の国債を取得者の同意を得て永久国債に切り替えたっていい。逆に永久国債を発行して現在の国債を返済することだってできるわけだ。借り換えローンのように。
この国債を日本が発行すれば日本が資金繰りに困ることはない。金を考慮することもせず、政策を実行することも出来る。思い切って税金も下げてしまえば国民も嬉しい。事業仕分けで独立行政法人が枝野と蓮舫に責められることもないwww。 しかしながら、デメリットも多くあるのではないかと思う。国債を買う者が居なくなったときが日本の終焉である。(それは尤も財源の全てを永久国債に頼っていればの話であるが。)そう考えてみれば発行し過ぎるのも恐ろしい。そこで私はこう思うのである。現在の国債を発行するペースで永久国債を発行し、現在の国債は徐々に返済してゆく。財源は永久国債だけに頼るのではなく、税金収入も併用する。国民に買われなくなる可能性があるので、永久国債を一気に発行することはしない。流通通貨量にも細心の注意を図る。このことを厳守すれば永久国債は怖くなく、日本に幸福をもたらす素になると思うのであるが、どうであろうか? しかしながら、私は政治学や経済学を専攻しているわけではないので、もしかしたら永久国債というものには大きな落とし穴があるかもしれない。その辺りはわからないわけで、だれか詳しい方が居られたら、コメントを頂戴したく思う。また、永久国債を導入せず現在の国債を返済するための良いアイデアがあったら、それもお教え願いたい。その他のコメントも頂けると幸いである。 今回は私の拙策をお読みいただき誠に恐れ入る次第である。 それでは・・・ #
by sotechan
| 2010-06-06 01:55
| 社会
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